毎年7月の最終日曜日に開催されており、今年(1997年)で第27回を迎えるロイ・サクマ氏主催のウクレレ・フェスティバルは、7月27日にいつもの会場であるワイキキのカピオラニ公園にあるバンド・スタンドで開催されました。
この会場では毎日曜日の午後2時から伝統あるロイヤル・ハワイアン・バンドの演奏会があるので、遅くとも1時半にはフェスティバルを終了しなければいけません。そのため正規の開演時刻の10時半より以前からフェスティバルをスタートして、できるだけたくさんの出演者に演奏の機会を作ろうと、ロイ・サクマ夫妻を先頭に生徒の父兄たちが朝早くそれも6時ごろからステージの飾り付けや会場の設営に働いていました。 日本ウクレレ協会のメンバーである竹本氏、福澤氏、そして一昨年の出演者の一員であった遠藤さんも早くから芝生の前の方に席を確保して待機していました。
会場は例年以上に早く埋まりましたが、このウクレレ・フェスティバルから誕生し、現代のハワイ音楽界をリードしてきたグループ「カアウ・クレイター・ボーイズ」が7年続いたユニットを解散すると発表されたばかりでもあり、かなりの観客が彼らのフェスティバルとしての最後のステージを期待して集まったのではないでしょうか。
準備が整い、10時にプリ・ショウがスタートしました。最初の出演者はすっかりフェスティバルの常連になったピーター・ルオンゴ氏率いるカナダのウクレレ・グループ「ラングレイ・ウクレレ・アンサンブル」の18名。ユニークな三角形のボディーをもつウクレレを中心にしたアンサンブルで、全員のコーラスやウクレレのソロも加えた素敵な演奏でした。特にカナダでも有名であるカアウ・クレイター・ボーイズのレパートリーと紹介して演奏した「ノホ・パイパイ」には会場から大きな喝采が起こりました。
続いて平川氏と彼の生徒さんのグループ9名が登場し、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」と「ユア・チーティング・ハート」の2曲を堂々と演奏しました。さらに五十嵐氏と彼の生徒さんたち6名のグループが「イエロー・バード」とメドレー曲「ユー・アー・マイ・サンシャイン/聖者の行進」を演奏しましたが、特に2曲めは「掛け合い」のアレンジがされていて楽しい演奏でした。
話がちょっと逸れますが、フラの発祥の地であるモロカイ島で、毎年5月にフラの原点をたどる「カ・フラ・ピコ」という催しが行われており、最近では日本からも多くの人達が参加しておりますが、催しの中心人物であるクム・フラ(フラの家元)であるジョン・カイミカウア氏をはじめ、フラ・ハラウ(教室)のメンバーがジョンの誕生日の7月にホノルルの「ウオード・ウエアハウス」で「モロカイ・フェスティバル」を開催しています。今年は丁度ウクレレ・フェスティバルの前日にあたり、ジョンの解説とチャントを交えてたっぷり2時間のあいだ、フラの歴史と実際の踊りを堪能させて貰いました。
この出演者のなかに6歳くらいの少年がおり、バンドにあわせて歌った「モロカイ・スライド」が大変すばらしく、何度も何度もアンコールをされただけでなく、1ドル、5ドル、果 ては20ドル紙幣までの「おひねり」でウクレレのケースが一杯になるありさまでした。その少年がウクレレ・フェスティバルの続いての登場者でした。曲はもちろん「モロカイ・スライド」で、「おひねり」こそありませんでしたが、会場からは「ハナ・ホウ(アンコール)」の喝采を浴びていました。
次はウクレレの名手ライル・リッツの愛娘エミリーが「ワン・ノート・サンバ」で登場です。彼女は昨年も出演しましたが、今年は格段の進歩がうかがわれました。お父さんのライルもバックに加わるという微笑ましいステージでした
ロイ・サクマのお弟子さんんたちは幾つかのグループに属しています。まずフェスティバルのスタートから終了時までステージに座りつづけ、出演者の切れ目ごとにウクレレ合奏をする200人の中級者グループをその年の数字をかぶせて「ウクレレ・フェスティバル・バンド1997」のように呼んでいます。日本へはこのグループが「スーパー・ケイキス」であるように伝わっているようですが、間違いです。
「スーパー・ケイキス」のケイキというのは「子ども」のことで、お弟子さんの中で若く、しかも優れた技量を持っている数人のグループを指します。ここ数年で「子ども」が「おとな」に変わってきたため、ロイはそのメンバーで新しいグループ「ジョイ」を構成しジョイとしてのCDもリリースされるようになりました。このほかにも年少者で、しかも初心者ばかりのグループ(グループ1〜4)や大人の初心者および中級者のグループもありますが、省略します。
次はそのジョイの抜けたあとにスーパー・ケイキスの主要メンバーとなるべき二人の少年ブラッド・ワタナベとアレックス・カワカミの登場です。曲は「カ・ウルヴェヒ・オ・ケ・カイ」で
アレックス君はなんと演奏中にウクレレを左から右に持ち替えるという離れ業をやってのけました。これはジョイに移ったネリー・トヤマがウクレレを背中にまわして弾くなどの芸をするのに匹敵するものでしょう。
第3回から連続25回の司会をつとめているダニー・カレイキニが彼のテーマ・ソングに乗って登場し、いよいよメイン・プログラムが始まりました。
フェスティバル・バンドが2曲演奏した後にいまやフェスティバルの常連として有名な五十嵐氏と今村氏のデュオの演奏に移りました。
まず、今村氏が「恋人よ我に帰れ」のソロを、続いて五十嵐氏が「マウイ・チャイムス」のソロをベースの吉田氏のバックのもとで大変美しく弾きました。
フェスティバル・バンドが弾く「リトル・ブラウン・ギャル」に続いて「バレー・ボーイズ」の登場です。
このグループはカアウ・クレイター・ボーイズのトロイ・フェルナンデスがマウイで発掘したファルセット中心のデュオで、トロイが設立した「ダイナソー・マウンテン・プロダクション」の最初のアーティストとしてCDも発売されました。
今年もハーブ大田が日本へ出かけていてフェスティバルには欠席のため、ライル・リッツがウクレレ・ソリストの主役でした。ライルはジャズ・グループ「アウト・テイクス」との掛け合いを含んだ演奏「素顔のままで」と「ルルが街に戻った」でジャズ・ウクレレの真価をご披露しました。
ふたたびフェスティバル・バンドの演奏があり、ジョイが登場しました。ロイの作品から「ウイッシュ・ユー・ニュー・ジャスト・ホワイ」キャンディス・ナリマツのハイ・テクニックによるウクレレ・ソロ「クマナ」そしてコーラスで「カネオヘ・フラ」。さすがロイの秘蔵っ子だけのことがある素晴らしい演奏でした。
ウクレレ初心者の子供たちの演奏に続いてウイリーKとエミーギリオムの登場です。
ウイリーKはナ・ホクの受賞者として有名です。しかし、ここで歌った「ハレイヴァ・フラ」を聴く限り、彼女の歌は一流の女性歌手と十分対抗できるだけの実力を持っていると思います。
初心者の子どもたちのグループがもうひとつ登場し、さきほどのグループより難しい曲を弾きこなしていました。フェスティバル・バンドの演奏に続いてビーチ・ボーイのチノが草笛で「ハワイの藁葺き小屋」を巧みに演奏し、喝采を浴びました。
そして平川氏の登場です。彼の十八番である「ハワイアン・カウボーイ」と「12番街のラグ」はいつ聴いても安定した演奏で、観客も堪能したことでしょう。
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いまやウクレレ・フェスティバルの主役と言ってもよいほどビッグな存在となったトロイ・フェルナイ・フェルナンデスがカアウ・クレイター・ボーイズとは異なる方向を目指して昨年結成したトリオ「パロロ」は古典の「ヒイラベ」に始まりプレスリー・メドレーの「テディー・ベア/ハウンド・ドッグ」そして先日亡くなったイズラエル・カマカヴィヴォオレに捧げる曲「オ・アクア」までと幅広いレパートリーをご披露しました。
続いて初心者の子どもたち「ウクレレ・グループ・ナンバー2」による「ブギウギ」と「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」そして、フェスティバル・バンドによる「急がば廻れ」「ウクレレ・サンバ」など4曲を弾いた後、フィナーレへと突入しました。
フィナーレはカアウ・クレイター・ボーイズのトロイ・フェルナンデスとアーニー・クルス・ジュニアを中心にベースのナサン・ナヒヌ達が「ボード・ウオーク」「アイランド・スタイル」「サーフ」など7曲で7年間の総決算とも言うべき演奏でご披露しました。
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フェスティバル終了後トロイとアーニーのサインを貰いたい人でステージの横に長い行列ができ、なんとロイまでTシャツにサインを貰っていました。
今回の旅行の目的のひとつにロイ・サクマ氏に日本ウクレレ協会の名誉会員証を贈呈することがありました。日本ウクレレ協会とサクマ氏の結びつきはかなり以前から有ったのですが、ハーブ大田氏やエディー・カマエ氏達のような「名誉会員」になっていただいておらず、2年前に第25回のウクレレ・フェスティバルをお祝いして訪問した際にもこの事実に気が付きませんでした。
6月の日本ウクレレ協会総会で正式にサクマ氏を名誉会員に推挙することを決定し、証書を携えてハワイに向かい、サクマ氏にそれを手渡し、サクマ氏にも喜んでいただけました。日本ウクレレ協会としてフェスティバルに参加させていただく次のタイミングは2000年の第30回あたりがよいのではと考え、サクマ氏と打ち合わせを行ってきました。ウクレレに興味をお持ちの方は、是非いちどウクレレ・フェスティバルの雰囲気を味わってみてください。その温かさにきっと感激するでしょう。
ウクレレ・フェスティバルには毎年たくさんの有名人がやってきます。ライル・リッツ氏と並んでいる人は、ウクレレについての豪華な単行本「目で見るウクレレの歴史」を著したジム・ベロフ氏です。彼は昨年のフェスティバルのステージにも登場し、ウクレレを弾きながら自作の歌をご披露しました。
筆者は後日、彼のお宅を訪問し、楽しく交流をおこなって参りました。
日本ウクレレ協会 小林正巳
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