日本ウクレレ協会協会歌
日本ウクレレ協会の協会歌として制定された曲です。
作曲者は協会の創設者で初代会長の灰田有紀彦(旧名晴彦)氏(1909〜1986)、作詞者は同じコンビでヒットした「鈴懸の径」などを手掛けた佐伯孝夫氏で、1940年に作られました。ハワイ生まれの日本人であった灰田氏は14歳で帰国し、慶応大学在学中の1929年に独学で覚えたスチール・ギターを中心とした日本最古のハワイアン・バンドであるモアナ・グリー・クラブを創りました。その後ふたたびハワイに渡り、作曲家でスチール・ギター奏者のM.K.モケに師事し正式なスチール演奏法を学び、日本へ戻る際に有名な「マウイ・ワルツ」をモケからプレゼントされたという話が伝えられています。
「森の小径は」はわずか16小節という短い曲ですが、和音の使い方にこっています。特に、12小節目の「A♭7」を3拍と「G7」を1拍の部分は、渡辺理事のお話によると作曲家自身がいろいろと迷った末にこの組み合わせを選んだとのことでした。3番目の歌詞の出だしを「なーんにも」と唄うのは間違いで、楽譜の指示どおり「なん、に、も」と唄ってください。
ハワイのロイ・サクマ氏主催のウクレレ・フェスティバルが1995年にシルバー・アニバーサリーである25周年を迎えたのをお祝いして、日本ウクレレ協会から有志19名がフェスティバルに参加し、この「森の小径」をウクレレで弾き、唄って参りました。
「森の小径」 サウンド・ファイルMP3(1.2MB)